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禁忌は甘い香りと棘を持っている。薔薇のように 4

Author: 46(shiro)
last update Last Updated: 2025-10-28 06:00:52

 夜がきた。

 月光神がこの月光界とは異なる世界へ界渡りをし、その地に慈悲の光を投げかけている間のほんの十数時間、月光界は完全な暗闇に閉ざされてしまう。一日の四分の一にも満たない時間。それを『夜』と呼び、月光界の住人たちは休息の時間としているのだった。

 そして、この月光神の守護が一番薄れる闇の中で活動する者は、ごくごくわずかな、選ばれた者たちだけである。

 聖女たちが居室をかまえる青月の宮と民のための礼拝堂やその他の施設をかまえる紅月の宮との中央、ほぼ南よりにある主神殿の奥深くで眠りについている月光母や月光聖女の身辺警護のため、警邏する若者数十名と、そして異界にいる月光神にむかって祈りをささげる月光聖女が三交替制で一人ずつ。今夜は、マテアがそのうちの一人に入っていた。

 マテアたち中堅の聖女には朝早くから光雫華の蕾を摘むという役目があり、本来この役目は年若い聖女が割当てられるのだが、頼みこみ、今夜だけ代わってもらったのである。

 主神殿の祭壇で焚かれた炎に投げこむための香木と、祈りで渇いた喉を潤すためのはちみつ水の入った小さな甕、それから足元を照らすための光雫華を一輪手に、マテアは自室を出た。

 もう夜半近く、明日の作業のため、誰もが床についている時刻である。どこもかしこもしんと静まりかえり、マテアが一歩進むたび、シュルシュルと鳴る衣擦れの音が廊下の隅々まで響く。主神殿に続く回廊に入り、青月の宮を出ても人の気配はどこにもない。この回廊は祈りをささげる聖女のみが歩くことを許されている回廊なのだから、これで当然なのだが、それでもマテアはどこかで誰かが見ているのではないか、ふいに柱の陰から現れ声をかけてきたりはしないだろうか、不安でたまらず、祈りの儀式用の着衣の上からかぶるようにしてまとった薄衣のベールの下で俯きかげんになりながら足早に進んでいた。

 どきどきと、今この瞬間に破れておかしくないほど胸が鳴っている。喉までこみ上がってくる動悸に邪魔をされ、息も満足にできない。未だかつてない速度で全身をかけ巡る血が、強張った肌の下でこれ以上ないほど熱く燃えているのをマテアは実感していた。

 これから自分がしようとしている事は、絶対の禁忌だ。決して行ってはならないとされ
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